やまとうたは第一話

やまとうたは第一話

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春眠亭あくび

手入れのない伸び放題の太い木々。それにツタが絡みつき、山は緑に支配されていた。 行く手を阻むツタを小刀で手際よく刈り取りとり、コウタは木々の間を駆ける。 齢十六だが、方々から顔は幼いと言われる。前髪はおかっぱパッツンで後ろ髪は肩の上辺りで切揃えられている。 茶色の上着に灰色の袴を履いている。 「おじさん、こっち!」 わずかに現れた獣道に年の頃四十のおじさんを案内すると、再び先陣を切って駆け出す。 「はひー! はひー! は、走れない! つ、つらいんじゃもん!」 「死にたいんですか? 鬼に捕まりますよ?」 「しょ、しょんなこと言ったって! つらい、もんは、つらい、んじゃもん!」 「じゃあ走るしかないじゃないですか。弱音言ってもしかたないですよね?」 「よ、弱音を言うと、少しだけ、楽になるきがするんじゃもん」 「なるほど、完全に理解です 。そういう効果あるんですね! だったらもっと弱音を言ってください。ほら、まずいですよ? 怖い怖い鬼が近づいてきていますよ? おじさんすぐ捕まっちゃいますよ? 捕まったら頭からボッキボキに食われて死にますよ?」 「いやじゃもんー! 死にたくないんじゃもん!」 「そう、その調子! もっとたくさん弱音を吐きましょう」 コウタはおじさんの様子に安心すると、目の前の太い枝にひょいと乗り、葉で茂る木の上に出る。ぐるりと辺りを見渡す。 一際高い木の頂点に、自分が付けた赤い布の目印を見つける。 さらに後方に目をやる。 大きな砂煙とともに、大型の生物が木々をなぎ倒しこちらに向かってくるのが見えた。 「ざっと一町(約110m)か。思ったより近づいてこないな。何かに警戒している?」 すぐに木を降りると、ちょうどおじさんが息も絶え絶えで走ってきた。 コウタの目線におかっぱ髪がかかる。 小刀を取り出すと、前髪後髪を手際よく刈り取る。 「な、なんで、髪がそんなすぐに伸びるの?」 「……気のせいですよ」 コウタは話をそらすとおじさんの服をつかみ、方向転換。 赤い目印の方向へ向かって走らせる。 「おじさん、とても興味深いんですが、なんでこんな危険な山に一人で入ったんです?」 「ひー! ひー! い、いま、それ、話す、必要、ある?」 「まあ、鬼はかなり近づいてきてますし、おじさんの遅さだともうすぐ食われてしまうので、一応死ぬ前に聞いておくのがいいのかなと思いまして」 「ひ、ひどい! そんなカワイイ顔して、なんで、そんなこと、言えるの?」 「え、だって事実じゃないですか。鬼が住む山に、狩人も雇わず一人で入るなんて、ただの自殺行為ですよ。普通に不思議なんですが。それにおじさん今ほとんど歩いてるのと同じですよ? 鬼から逃げ切れるとは思えないので、冥土の土産にでも理由を聞いておこうかなと」 「はー! はー! む、むすめの! 婚礼が! あるんじゃもん!」 「ふむふむ」 「娘には! 本当に、苦労を、かけた! 母親を、早くに亡くして! 男手ひとつで育てた! だから、せめて、婚礼には! うまい飯でもと! 思ったんじゃもん!」 「じゃあ」 「でも! 金がないんじゃもん! 鬼が出てから、食べ物は高級品! 狩人を雇う金もない! だから! ひとりで! 山に入るしか、なかったん! じゃもん!」 「そうですか。おじさんはいい人ですね。オレは気に入りました。なるべく生きて帰りましょう」 「うう、しょうねーん!」 「オレはコウタって言います。それに少年じゃない、十六になります。この山で狩人をやっているんです」 「え、でも、狩人って複数人でやるものじゃ」 「オレは訳があってだれかと暮らせないんです。ひとりで山に住むしかないんです。だからこうやっておじさんと話せてすごく楽しかった。さあ、とにかく今は弱を吐いて! 走って!」 「じゃもーん!」 後方からズシンズシンと地響きが近づいてくる。 コウタは辺りを見渡す。 枝に巻き付けた赤い布の目印が目に入る。 その近辺に生えているはずのシダを探す。 見つけた。 ギザギザの特徴的な葉。 シダ。 鬼が嫌う植物。 コウタはへろへろになっているおじさんの腰紐をつかむ。 「へ?」 「じゃあ、あとは運です。鬼に襲われないことを祈っててください」 少年と間違えられるほど小さい背丈のコウタは、自分より一回りも大きいおじさんをひょいとぶん投げる。 「じゃもーん!」 おじさんはシダの茂みの中につっこむ。 と同時に、後方から追いかけてきた鬼が顔を見せる。 豪商の土倉とみまごうかというくらいの巨大な体。 鼻の先は牙、足は何本もあり、体は昆虫のような皮膚で覆われている。 「ムカデ型か。イノシシが蟲に刺されたか」 コウタはおじさんとは反対の、シダがない方向に駆け出す。 鬼はグモォと奇妙な鳴き声をあげて、コウタを追いかける。 よし、おじさんには気づかないようだ。 コウタは一安心して走り出す。 赤い布の枝に巻き付けている縄。 その手前で、コウタは足を止める。 迫り来るムカデ型の巨大な鬼。その距離五間(約9m)に迫ろうかという刹那、コウタは縄を切る。 コウタの少し後ろを巨大な丸太の槍が振り子の要領で襲いかかる。 後ろから追いかけてきた鬼の横っ腹に、その丸太がぶち当たる。 「よし!」 コウタは後ろを振り返り、鬼の様子を探る。 丸太の槍は鬼に当たっていた。 だが、刺さってはいなかった。 鬼は昆虫のような皮膚を使って体を守るように丸まっていた。 鋼のように黒光りしたその固い皮膚を、丸太の槍は突き破れなかった。 今まではこの罠で、どんな巨体の鬼でも一撃だったのに。 丸まった状態から通常の歩行状態になった鬼は、グモォォォォと怒ったように叫ぶ。 コウタの嫌な予感は的中した。 他の鬼と一線を画す、進化した鬼。 初めて出会う、自分では倒せない強力な鬼。 得体の知れなさに全身の血の気が引く。 そして、飛び跳ねるようにその場から逃げ出す。 シダの群生群を探す。 そこに身をひそめながら逃げれば、万が一だが鬼を撒くことが出来るかもしれない。 ―― 生きなさい、なんとしても。あなたを必要としてくれる人に出会うその日まで。 亡き母親の言葉が頭をよぎる。 棘のあるツタの奥にシダを見つける。 グモォという声と共に鬼も追ってくる。 コウタはシダの群生に飛び込む。 グンッ! 何かに頭を強く引っ張られて、仰向けに倒れるコウタ。 伸びきった髪が、棘のツタに絡まっていた。 恐怖で髪が伸びたことに気づいていなかった。 倒れたコウタに鬼が力任せの突進を決める。 ブチブチっとツタごと引きちぎられて、かなり遠くの岩盤にぶつかる。 「あ、ぐ、ふ」 視界がぐわんぐわんと歪み、天地と前後が不覚となる。 頭が妙に生暖かいと思ったが、色を見てそれが血だと理解した。 忌々しい忌み子の血。 コウタは舌打ちをする。 身に危険が迫ると髪が伸び、身体能力が向上する力。 そして、なぜか鬼を呼び寄せてしまう能力。 昔は気味悪がられるだけだった。 それが十年ほど前、鬼が出没しだしてから、村人の当たりが強くなった。 この体質のせいで村から追い出された。 山に住むしかなかった。 母親も付いてきてくれたが、間もなく鬼に食われた。 そして、自分もこれから。 鬼に食われて。 忌み子の血。 最後まで自分を苦しめたこの体質。 それでも母は自分のことを誇らしいと言ってくれた。 いつかその体質も含めて、誰かに求められることがあるだろうと言ってくれた。 そうでなければ、神様仏様がそんなご無体なことをするはずがないと。 ――生きなさい、なんとしても。あなたを必要としてくれる人に出会うその日まで。 「でも母上、こんなオレを、いったい誰が必要だと言ってくれるのでしょうか」 思わず口に出ていた。 それでも生きなさいと。母はきっとそう言うだろう。 ムカデ型の鬼が近づいてくる。 左腕と右足が動かない。おそらく折れているのだろう。 それでも、コウタは立ち上がった。 感覚の無い右足は添え木のようにして、左足でふんばりながら無理矢理立った。 そして、運良く腰紐の後ろに引っかかっていた小刀を体で隠し、右腕で握る。 口をあんぐりあけておいしそうにコウタを食べようとする鬼。 その大きな獅子鼻をコウタは小刀で斬りつける。 グモォ!! 悶え苦しむ鬼。 「母上、一矢報いました。私を必要としてくれる人に出会えという、母上との約束を守れないことをお許しください」 怒りに任せて突進してくる鬼。 もはや右腕の力も入らず、小刀を持つことさえもかなわぬ状態。 目をつむり、死を待つコウタは、そこで美しい歌声を聞く。 「玉かづら はふ木あまたに なりぬれば 絶えぬ心の うれしげもな」 死を悟ったコウタだったが、まだ意識があることに気づく。 恐る恐る目を開けると、そこには目の前で自分を食おうとしている鬼。 停止している。 大量のツタによって、鬼ががんじがらめにされているのだ。 「やあ、君がコウタくんかな? ふもとの村の人に聞いてね。探したよ」 そこには三白眼の美しい女がいた。 短髪で、ふわふわな栗毛。 白い上着を朱のタスキで縛っている。 格好は男そのもの。だが、その美しく華奢な姿は、一目で女だとわかった。 女は紙で巻いたタバコのようなものをふかしながら、コウタに近づく。 「わたしは紀貫之。単刀直入に言おう。これから君に緊急処置を行う。助かるかもしれないし、もっとひどくなるかもしれない。それでも生きたければ、わたしを信じてほしい」 血が足りない。 正常な判断は明らかにできていないと自分でもわかる。 それでも。その必死な顔にウソはないと直感でわかった。 「か、 完全に理解です。やってください 」 コウタは、消え入りそうな声で応える。 「ありがとう。信じてくれて」 貫之はそう言うと、懐から一枚の短冊を取り出す。 「梓弓 ひけば本末 我が方に よるこそまされ 恋の心は」 先ほどの美しい歌声が響く。 そして、コウタの左腕にその短冊の角を刺す。 ジュウと短冊に書かれた文字が体の中に入り込む。 ドクン。 ドクンドクン。 ドクンドクンドクン。 強い動悸が襲い、バツンという音と共に目の前が真っ暗になった。 ◆ コウタが目を覚ますと、目の前には鬼と貫之がいた。 鬼は腹に大きな穴を開け、死んでいた。 貫之は右腕に大きな噛み跡があり、ひどくおびえている。 「……もしかして、オレがやりました?」 「うう、もとにもどったぁ! ふにゃぁ、こわかったよぉ!」 紀貫之は三白眼一杯に涙をためて、コウタに抱きつく。 強いダルさと口に広がる血の味。そして目の前でおいおいと泣く男装美少女。 コウタの頭はまたしても許容範囲を超え、そこで意識が途切れた。

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